大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和54年(あ)1853号 決定 1981年2月24日

本籍

京都市下京区猪熊通四条下る松本町二七八番地

住居

京都市山科区音羽中芝町一〇番地

金融業

正木英吉

大正一三年四月一五日生

右の者に対する所得税法違反、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律違反被告事件について、昭和五四年九月一九日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人表権七の上告趣意第一点は、憲法三一条違反をいう点を含め、その実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点は量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

○昭和五四年(あ)第一八五三号

被告人 正木英吉

弁護人表権七の上告趣意(昭和五四年一二月二八日付)

第一点 原判決は、控訴趣意書記載の論旨第一点の主張を排斥し、一審判決認定の、被告人の昭和三九年度、昭和四〇年度、昭和四一年度、昭和四三年度、昭和四四年度の各年度分の被告人の所得額及之に対する所得税のほ脱額の算定は所得税法第四五条第一項第四号、第五号の解釈適用を誤まった事にはならないので、従って所得額認定の事実を誤認した事にもならない旨判示した事は、所得税法第四五条第一項第四号、第五号、同法第三七条第一項の解釈適用につき第一審と同じ法令解釈の誤まり及事実誤認の違法を繰返したもので、判決主文に影響することは勿論であり、到底破毀を免れないものである。

一、税務行政上の解釈及取扱例

本件に於いては、

1 昭和三九年度分、昭和四〇年度分及昭和四一年度分の被告人の所得額及所得税額の申告は各年度の翌年三月一五日までに不正申告が為され、此の三ケ年分につき調査開始されたのは昭和四二年七月頃からで(検甲第一〇号証)あり、調査結果が大体まとまったのは同年一二月一一日検甲第八号証ノ八の大蔵事務官内藤修治の報告書に於いて、ほ脱所得額及税の数額がまとめられ、昭和四三年三月一二日検事の起訴となっています。従って、大阪国税局に於ける更正決定は昭和四二年一二月下旬以降であり、此の更正決定結果の数字が府税事務所に通知されて、府税事務所が右各年度分のほ脱所得額分に対する事業税の賦課更正決定をするのは昭和四三年三月頃になる順序であります。

2 次に、昭和四三年度分及昭和四四年度分ほ脱所得額及ほ脱所得税の調査がまとめられたのは、昭和四七年一月八日付大蔵事務官坂本義孝作成の検甲第一一号証及検甲第一二号証の脱税額計算書に於いて為されたもので、更正決定も同日以降であり、此の所得額更正決定の数額が府税事務所に廻付され、之れにより府税事務所が右昭和四三年度分及昭和四四年度分のほ脱所得額に対する事業税の賦課決定は昭和四七年二、三月頃になるのであります。

3 そこで、昭和四二年度の所得税確定申告は昭和四三年三月一五日までですが、その時その前年度(昭和四一年度中)の所得額が昭和四二年中に確定し、且同年中に事業税の賦課決定が確定していなければ、昭和四二年度分所得額に対する必要経費として控除することは許されません。

処が、昭和四一年度分、昭和四〇年度分及昭和三九年度分のほ脱所得額が更正決定されたのは昭和四二年一二月下旬頃で、それに対する事業税のほ脱額の賦課更正決定は昭和四三年に入ってから決定されているのですから、昭和四二年度中に賦課決定が確定したものではないと云う理由から税務署では昭和四二年度の所得額から必要経費として控除してくれません。而もその翌年の昭和四三年度分の所得額からも控除してくれません。昭和四三年度分所得額の申告又は之れの更正決定は昭和四四年三月一五日以降ですが、昭和四三年度を基準として当該年の一月一日の前年即ち昭和四二年度中の所得を基準として算出した事業税と云う事にならないからです。

即ち、所得税法第四五条第一項第四号の規定は、所得額に対する必要経費として所得額から控除されないものを列挙しており、事業税は右列挙の中に規定されていないから、所得税法第三七条第一項により所得額から控除されるものに該当するものであるが、その内で地方税法第七二条の五〇第一項の規定により、当該年度の初日に属する前年中の所得税の課税標準である所得のうち地方税法第七二条の一七、所得税法第二六条及第二七条の規定により税務官署に申告し、若しくは修正申告し、又は税務署が更正し若しくは決定した課税標準を基準として事業税を課税するものと規定しているので、右「当該年度の初日に属する前年中の所得税の課税標準たる所得」と云うのは、昭和四二年度の所得額計算につき控除される必要経費(事業税も含む)は、「昭和四二年度の初日の前年中の所得額を基準として賦課された事業税でなければならない」との趣旨であって、「前々年中以前の年度の所得額を基準として賦課された事業税はそれが賦課決定が確定した年即ち昭和四三年度分の所得額から控除される必要経費には入らない」と云う趣旨である。而も所得税法第三七条第一項も第二項も、必要経費として所得額から控除される事業税は確定しているものでなくてはならないと云うのであるから、「前年中の所得額を基準として課税された事業税であること」(前々年度以前の所得額を基準とした事業税は控除を許さない)、而も必要経費として控除せんとする当該年度中に確定している事も必要だと云うのである。

之れが税務官署の採っている公権解釈であり、実際の取扱例なのである。

4 此の点について、原判決はその説示中に、

「なお、もし右のように解すると、被告人は事業税の損金算入が認められず不利に取扱われるのではないかとの疑問が生ずるかも知れないが、その点は現実に事業税が賦課され、賦課決定の通知を受けた年分の必要経費に算入されるので問題がないのである。」

と判示していますが、之れが税務行政の実際の取扱とは完全に違っているのである。

右原判決の説示の通りだとすれば、昭和三九年度から昭和四一年度分までの三ケ年分の所得額及所得税額のほ脱額が一度に昭和四二年一二月に国税局によって更正決定され、その更正決定結果の通知を受けた府税事務所が、昭和四三年に入ってから右三ケ年間の各年度分の更正所得額を基礎として事業税の更正額を賦課決定し被告人に通知したときは、昭和四三年度分の所得額から右三ケ年分の事業税ほ脱額を全部必要経費として控除してもらえると云う事になるが、実際は昭和四三年度分から全然控除してくれないのである。それは、昭和四三年度所得額から見れば、その前年即ち昭和四二年度中の所得を基準とした事業税のみを云うのであって、それ以上に古い年度のほ脱所得額を基準としたものであり、且昭和四一年度中の所得額から算出した事業税は昭和四二年中に賦課決定が確定もしておらないからである。

と云うのが第一審証人たる大蔵事務官坂本義孝の証言の趣旨である。

而して、昭和四三年度の正当な所得額は、 金一二二、〇五六、一一八円

(内、検事の起訴した同所得額は、 金一一七、二〇一、五五三円)

であり、之れは脱税のなかった昭和四二年の申告所得額を基準として賦課決定された事業税 金二、五〇六、四〇〇円

を昭和四三年度分のほ脱所得額の算定から控除されたものである。於の事は一審検事の冒頭陳述書添付昭和四三年度分増差修正貸借対照表によって明白である。

即ち昭和四二年度分の所得申告には脱税がなく、昭和四三年三月一五日までの所得申告が正当に為され、後日更正決定も受けていないので、その所得を基準にして昭和四三年中に之に対する昭和四三年度分事業税額として確定していた昭和四三年度分の所得算定につき、その前年度たる昭和四二年中の所得を基準として賦課決定された事業税であり、昭和四三年中にその賦課決定が確定していたから、之れは昭和四三年度分の所得額から控除すべく納税引当金として債務に計上してあったから、後日昭和四三年度分所得額が調査の上更正決定するとき控除に間にあったから控除されたのであるが、昭和四三年度分及昭和四四年度分ほ脱所得額が昭和四七年一月に入って更正決定され、之を基準として同年中に昭和四三年度分及昭和四四年度分の事業税更正賦課決定が為されたときは、右両年度分のほ脱事業税額は昭和四七年度分の所得額から控除してくれないのである。それは昭和四七年度分所得額を基準にして、その前年度即ち昭和四六年度の所得額を基準として算出した事業税にも該当せず、昭和四四年度以前の古い年度分の所得額を基準として賦課決定した事業税に過ぎないからである。

仍って原判決は、本件の如く何ケ年分でも二、三年過ぎてから逆上って更正決定され、事業税も知事によって賦課決定された場合でも、決定されたその年度分の所得税算定につき損金算入が許されるから、何等被告人に不利な結果にならないように考えておられるのは、右税務行政当局の公権解釈による取扱例は甚だしく苛酷な取扱いになっており、被告人の所得申告がその申告した年の間に税務官署の更正決定から府税事務所の事業税の更正決定まで決定がすんでいないときは、凡て事実上損金算入が為されないまゝで終ってしまうのであります。此の様な場合には、必ず重加算税などまで取られ、総納付額は初めから正当に申告した場合の税額に比して倍額を取られているのでありますが、その上にほ脱所得額の算定そのものが前年度分の事業税を控除しない数額であります。

即ち、原判決は、右税務行政当局の行っている右不合理を遂に発見していないのであります。

二、刑事判決として所得税違反額を算出する場合の右所得税法第三七条第一項、地方税法第七二条の五〇第一項等の解釈適用。

所得税法違反としてほ脱税額を算定する場合には、刑罰法規の厳重解釈の原則上、少なくとも被告人の故意過失に裏付けされたほ脱税額でなくてはならない事は、憲法第三一条の解釈適用上、前記の如き税務行政当局の実際の取扱が被告人に苛酷な取扱をしていても、之れを刑罰の対象としてのほ脱税額の算出については、実質上の被告人の故意過失によってほ脱された所得額及税額を算出すべきものと解すべきである。

原判決は、此の点に関する控訴趣意書記載の第一点の論旨を採用しなかった処に、右所得税法、地方税法の各規定及憲法第三一条の規定の法意の解釈適用を誤まり、刑罰規定の適用は厳重に制限的に解釈適用しなければならないのに不拘、税務行政当局の解釈適用のまゝその不合理苛酷を認容してしまった処に破毀されねばならない違法を犯しているものである。之は具体的に説明すると次の通りである。

1 一審判決認定の過少申告によるほ脱所得額が、 金二一、四〇五、二九八円

として算出されると、府税事務所も税務署の右更正決定額をそのまゝ採用して、之に百分の五の事業税と過少申告加算税等を決定するのです。右の内、事業税の本税の更正額は、 金一、〇七〇、二五四円

となることは、税務署の更正決定により事業税も客観的には確定するのでありますが、右更正決定が昭和四三年度に入って賦課決定されると、之は昭和四三年度分の所得額算定につき必要経費として控除してもらう事は、前記税務署の公権解釈から不可能の取扱いになることも税務署が更正決定したときに客観的に確定しているのですから、同時に昭和四〇年度分のほ脱所得額を算定するに際しては、右税務署の苛酷な公権解釈は過少申告をするときの被告人の故意過失とは無関係ですから、刑罰法規適用の為のほ脱税額算出に関する限り、昭和四〇年度の被告人の不正過少申告の所得額を算出するにつき、右昭和三九年度分のほ脱所得額に基づくほ脱事業税の本税分は控除しなければならないものと解すべきである。

そうすると、一審判決認定の昭和四〇年度分の真実所得額 金三五、一七三、五二八円

内、申告所得額 金一、五四八、八一二円

差引不正申告額 金三三、六二四、七一六円

に対する昭和三九年度所得額更正決定に基く京都府知事のほ脱事業税

本税の更正決定による増額分 金一、〇七〇、二五四円

を昭和四〇年度分の不正過少申告額 金三三、六二四、七一六円

から差引控除して算定すべきものである。

而して、被告人の所得税率は昭和四〇年度で三千万円以上の所得につき六割五分ですから、所得税額で、 金六九五、五〇〇円

違って来ます。之に重加算税で所得税の三割、延滞税で三割五分がかゝっていますから、結局被告人は金一一三万円余の負担加重となっています。又、所得税で金一、〇五〇、〇〇〇円減額されると、事業税でも金五三、五〇〇円と之の過少申告加算税が減額されるべきであったのであります。

2 次に、昭和四一年度分についても、更正決定による所得額二六、〇六五、四九〇円から前記昭和四〇年度所得に対する事業税本税の加算額(三三、六二四、七一六円に対する百分の五)一、六八一、二〇〇円を控除して所得税額を計算すると、昭和四一年度の所得税率は二、三〇〇万円を超える分につき五割ですから、税額にして八四〇、六〇〇円と之に対する重加算税三割、延滞税三割以上で、約六〇〇、〇〇〇円、計金一、四〇〇、〇〇〇円の負担が軽減されるべきを軽減しなかった事になります。而して所得税にて八四〇、〇〇〇円違うと、事業税では四二、〇〇〇円と之に対する過少申告税が加重されます。

次に、一審判決認定の昭和四三年度の更正所得額金一二二、〇五六、一一八円に対する事業税では金六、一〇二、八〇〇円となりますから、之を一審認定の昭和四四年度の更正所得額八八、七四五、七六三円から控除しますと、昭和四四年度の所得税率はわかりませんが、昭和四八年度の税率でも六千万円以上は七割、八千万円を超える分につき七割五分ですから、所得税額で七割としても金四、二七〇、〇〇〇円以上減額されねばなりません。之に重加算税、延滞税(昭和四七年決定まで)等で約五割を加算しますと、合計六、三〇〇、〇〇〇円負担が軽減されるべきであります。

次に、昭和四四年度所得額の更正決定が為されたとき、一審認定の実際所得額八八、七四五、七六二円から申告所得一九、二八四、七五四円を差引き、ほ脱額六九、四六〇、〇〇八円に対する事業税の更正増額分は金三、四七三、〇〇〇円となる事は客観的には確定しているのですが、右ほ脱額の調査決定が昭和四七年になってからであるから昭和四七年度所得額から控除されるのは、昭和四六年度中所得に対して昭和四七年に算出決定したもののみ控除される行政上の取扱ですから、昭和四四年度中の所得から算出される事業税は昭和四七年度分所得から控除されていない事は控訴審で被告人の供述している通りです。勿論、昭和四五年度分、昭和四六年度分所得額申告の時は、右昭和四四年度所得による事業税は未だ賦課決定していませんから控除を受けていない事は明白です。之は本件起訴分の脱税額認定と関係ありませんが、更生決定が遅れたために被告人が蒙る不合理な損害として考慮さるべきであります。

以上により、昭和四〇年度、昭和四一年度、昭和四三年度のほ脱所得税計算につき、その各前年度中の更正所得額によって算出される事業税本税分をほ脱所得額から控除しないでほ脱税額を計算した事は、刑罰法規適用の場合に於いては所得税法第三七条第一項、地方税法第七二条の五〇第一項の解釈適用を誤まったもので、原判決は此の点に於いて破毀差戻しをしなければならない違法を犯している事が明白です。

第二点 本件では、被告人は所得税本税で六割から七割五分までの所得税と重加算税三割と延滞税で三割五分位と合計所得の十三割位の税金を取られ、その上、税務行政上の公権解釈の苛酷さから、事業税本税の更正増額決定分、昭和四〇年度、昭和四一年度、昭和四四年度、昭和四五年度分で事業税だけで一二、三二九、〇〇〇円の控除の機会を失っているのですから、昭和三九年度から昭和四四年度まで(昭和四二年度分を除く)の総所得額約二七九、三二二、〇〇〇円の約四割以上の一億一千万円位を、その間の所得額より多額に取られておりますので、懲役の執行猶予の外に右の如き大きな損をしている事になるので、一時は倒産に頻した位で、昭和四七年以降自己資金は皆無に近く、他人資金を借入れにより貸金業の復活を図りつゝあり、且昭和四五年度分以降は全然脱税せず、所得全額申告により模範納税をしているので、どれだけ儲けても高い所得税、事業税、府市民税を納付すると、実質所得の一割も残らない位で、仲々資力の挽回は出来ませんので、之に対し右懲役刑の外に更に罰金二、五〇〇万円の併加刑は苛酷に失するものでありますし、右一億一千万円も所得額以上の税を取られた被告人にとっては、右罰金は致命的痛手となりますので、右事業税を控除されなかったための不利益をも考慮すると、右罰金刑は削除して頂くのが相当であって、之を削除しなかった原判決は量刑苛酷に失し、却って社会正義に反する程度のものであるから、此の点についても破毀を免れないものと思料致します。

以上

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